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こなばんわ、ぐりおにです。

蒸し暑く、千切り甲斐のありそうな雲が押し寄せる夏の季節も少しずつ流れていき、夕方にヒグラシが鳴いていると思えば、気が付けば鈴虫の鳴き声が聞こえる秋に近づいてきました。
弊社終業時間は夕方6時なのですが、一番季節を感じるのはここ。
今まで外に出ればまだ明るかった夕方も、最近では夜とほとんど変わらない暗さになってきております。
石川に来てもうすぐ3か月。大分こちらの生活にも慣れてきました。結局生活の仕方ってのはどこに行っても変わらないです。無事に豪雪の冬を乗り切れば、ですけど。
ガソリンスタンドのおばちゃん曰く、冬のバイクは即事故死、とのことでした。道路が凍結するようです。死にたくないので歩きます。会社近くの家にしてホント良かった。

まずは久しぶりに頂いたコメント返信。

>分公さん
ナルゥー!
当方、花のトウキョー暮らしですが一度もワイングラスなど傾けたこともなく…
昨日はこたつテーブルの上で梨剥いて食ってました(照

インテリア選ぶのってむずいですよねー。
分公はどこでもゴロゴロしたい派なのでラグマット敷いてゴロってるんですが、結構ヘタってきたんでまた新しいの買おうと画策中です。
ぐりおにさん、シャレオツなの知ってますか?

コメントありがとう!
コメントくれるのは嬉しいけど記事かけや!!!!
なんていいますけど、生きてるのがわかるだけ嬉しいです。
そしてごめん、シャレオツなのは知りません……
ただ基準としまして、ある程度テーマを決めて買っています。
・シンプル、単色、リーフデザインのもの
・部屋のテーマカラーは2色程度
・差し色に強めの色
ぐらい。
今この家にある家財のほとんどは頂き物ですので、自分の意思が反映されているのは大変に少ないのですが……
まぁ何が言いたいかっていうと、自分が作りたい部屋のイメージに合うのを買えば十分かなと思います。
ラグも結構好きなんですが、毛が長いの買っちゃうと過去に凄まじい埃を生み出したことがありますので短めをお勧めします。コロコロクリーナーですぐ誇りが取れるので楽です! 一日一回かけちゃう。

閑話休題。
今日のタイトルの回収です。

私は昔から哲学に興味があり、大学の時の選択授業にも哲学を選択していました。
とはいえ、がっつり興味があるかと言われればそうでもなく、人生の中で少しかじれればいいかな、という程度。
近くに図書館などがあれば、いつかゆっくり勉強してみたいと思っています。
そんな俄か哲学スキーによる、皆さんが聞いたことのある哲学ワードの解説をたまにやっていこうと思っています。
自分の中で有名と思われる哲学ワードがいくつかありますが、あまりストックもありません。皆様が聞いたことのある名前やワードがあれば、いつでもコメントをくださいまし。




第一回目 「我思う、故に我在り」
聞いたことのあるフレーズだと思います。
噛み砕いて言い直せば、「私が何か考えているこの瞬間だけは、それを考えている主が存在している」ということです。
近代哲学の父と言われているルネ・デカルトが残したこのフレーズ。
デカルトはフランス語で原典を残していますが、哲学が活発に研究されていた現ヨーロッパ方面では【コギト・エルゴ・スム】というラテン語のフレーズで広められています(所謂、コギト命題)。

このフレーズが誕生した経緯は、デカルトが積極的にすべてを疑っていく考え方にありました。
デカルト自身、一度間違いを起こしたものは全幅の信頼は一切置かないと言われるほどの方です。
本当に間違いがなく、絶対であるといわれるもの(真理)をデカルトは探しておりました。
その背景には、キリスト教真っただ中のヨーロッパで当時の哲学者たちが生きていたことが起因しております。
全ての事柄は神によって為されている(例えば、山が高い理由は神が山を高く作ったから等)と考えられていました。
しかし、実はこのキリスト的考え方はヨーロッパでこそ当たり前とされていた考え方でしたが、海を越えれば必ずしも当たり前ではなかったのです。
そのことにより、神の存在が崩れてきている時代でした。当たり前だったものが当たり前ではないことが徐々に知られてきたのです。だからこそ、デカルトは真理を探究したのだと思われます。絶対に信じられるものを探していたのでしょう。

そこでデカルトは4つの思考方を経て、真理の探究をしました。(方法的懐疑と呼ばれています。また、かなり意訳しています)

1、正しいと証明されたもの以外は受け入れない。
2、考える問題は小さく単純なものに分けて考えること。
3、分けたのち、簡単なものから始めて後に複雑なものに行きつくこと。
4、見落としがなかったか、確認をすること。

上記を徹底することで、真理に近づこうとしました。
その為、例えば、今を生きている僕たちのこの現実が、夢なのか現実なのかを判別する方法はない。だから根拠からは排除する。なんてことにもなってきます。

そうして考えていくと、本当にすべてのものを疑うことになってきます。何も正しいものはないです。
感覚も疑っていくことになりますので、視覚・触覚・聴覚なんかも真理の探究に関しては排除することになっていきます。

そうして考えていくうちに、辿り着いた考えが、
「全てを疑おうとしているこの瞬間だけは、すべてを疑おうとしている主が存在している」
ということです。
そうして、「我思う、故に我在り」というフレーズが誕生しました。
肉体の存在とか精神の存在とかはさておき、物事を考えている主だけは必ず存在している、という心理に辿り着いたのでした。




現在進行形で調べながら書きましたが、要約すると上記のようです。
全てを疑うからこそ、疑おうとしている主だけは存在が認められる。だからこそのフレーズでした。

デカルトから習うことは、上記に出てきた方法的懐疑です。
これ、普通に現代でも何か物事を考えるときに役に立つ考え方です。

1、予想や推測はさて置き正しいデータをもとに考え、
2、問題点を細かく分け、
3、簡単な事象から徐々に複雑化していき、
4、見逃しや本題からの逸脱はないかの見直しを行う
デカルトを知ったからには、僕自身こういう考えをしれっとできるようにしたいものです。


ということで今日はここまで。
終わり方ってこんなんで良かったっけ……
徐々にリハビリをしていきたいです!
それではオサラバ!
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